| 第十六章「それから」 |
それから、暫しの時が流れた。学校のひとつのクラスを支配し、その状況を維持・安定させるという大事業には多くの手間と労力がいる。アルジェ・ハイゼンベルグという絶対的なバックボーンの助けがありながらも、その大事業を自ら成し遂げたマサキは確実に成長していた。あるいは、成長したと錯覚した。だから、身近にある落とし穴にも気がつかなかったのだ。
ある日の放課後、また佐藤理沙を犯そうとやってきたマサキは奇妙なものを見る。いつも、理沙を犯していたベットで、理沙が鋏を握り締めたまま死んだように眠っているのだ。理沙は泣いていた、酷く蒼白な顔だった。そして鋏には血が滲んでいた。
――血!?
よく見るとベットもところどころ、鮮やかな赤で染まっていた。傍らには、岩崎という若い保健婦が付き添っていた。よく見ると、理沙の腕には無数の切りつけた後があった。そこに岩崎は泣きながら治療を施している。アルジェが保健婦をやるようになってから、学内では見かけなかったのだがちゃんと居たようだが、今はそんなことを考えてる場合じゃない。
「理沙……どうしたんですか」 「ああ、自殺を図ったんだ」 あわてて尋ねるマサキに、そう何気ないように答えて、机に向かったまま自分の仕事を続けるアルジェ。 「自殺って!?」 「未遂だ、問題ない。あと、理沙は今日妊娠が発覚した。あくまで目測だが、妊娠後四週間といったところだな、おめでとう!」 「ちょっとまってくださいよ、自殺って」
「お前――本当に気がつかなかったのか」
そういって、アルジェは振り向いてマサキを見た。力のこもるギラギラと光る瞳で、マサキの濁った目を見つめ返す。数秒、見詰め合ってアルジェはすべて分かったという顔でニヤリと笑った。 それですら、マサキに理解させるためのことで、アルジェにとってはマサキが頭の中で何を考えているか、考えていないか、何をして、何をしなかったか、あらかじめ分かっているのだ。この流れ、彼女にとっては、この程度のことなど、予定調和でしかない。入力の値を決めて打ち込んでしまえば、出力はその瞬間に決定されているものなのだから。それは、運命と言い換えてもいい。
「ぼくは……」 「お前は分かっていたな。自分が理沙を追い詰めていることは、その結果に何が起こるかは考えなかったか?」 「そんなことは!」 「考えなかった、何もやらなかったのは、そう望んだからだ。そのひとつの結果がこれだ」 「ぼくはこんな結果、望んでいない!」
マサキのそんな叫びには取り合わない。いまさらいい子ぶりっこか、意味がない。そうやってどうしようもないことから、自分の弱さから逃げようとしているマサキには、覚悟させる必要があった。 これから、この弟子が一人立ちするためには絶対必要な覚悟。催眠術師として一人で生きていくための――そう思ったときに、何故かアルジェの脳裏に古森正夫の顔が一瞬浮かんだが、それもアルジェは気にしない。そんな気持ちに流されない。 (必要だろう、弱い人間にとっても、強い人間にとっても覚悟は――) それは、あの”唯一自分から一人立ちしなかった”弟子も分かってくれるはずだった。
「マサキ、お前は恨んでいたのだろう佐藤理沙を。鳥取マサキと、円藤希は、お前の期待に応えた。そして、理沙は応えなかった。だから、理沙のことを考えなかった。あきらかにメンテナンス不足だよ。結果として、理沙はお前の行為に追い詰められて、こうして自殺未遂をした」
マサキは、打ちのめされて床につっぷしている。
「私は、早い段階から理沙が追い詰められているのに気がついていた。理沙はストレスに耐えて耐えて抱え込んでしまうタイプのようだったからな。予測できた破局は三つ、理沙がお前を殺そうとすること、あるいは学校や家庭、つまり自分の生活環境を破壊しようとすること、そして自分の命を絶つこと」
「だから、それへの対処として、理沙にマサキを殺害すること、過度な破壊行為、自殺を禁じておいた。今日、私が与えた妊娠検査薬で、妊娠が分かってしまって、それが引き金になって発作的に自殺しようとしたようだな。鋏で、自分の腹を突こうとして、それが自殺禁止の暗示で阻止されたので、手首を切った。鋏の刃先は切るために作られていない。どれほど力を込めても、浅くしか切り付けられなかったようだ。そして、そうやって自傷行為をしているうちに、心の糸が先に焼ききれて倒れてしまったようだ」
マサキは、床に身を伏せたまま動こうとしなかった。
「理沙は、優しくていい子だったな。それに対してお前は無思慮で乱暴だった。私は理沙が、十中八九お前を恨み、殺そうとするだろうと考えていた。だが理沙はそうしなかった、学校でも家庭でも耐え続けた。そして、自分の妊娠が分かって、そこで苦しみ耐え続けた理沙の精神も、限界を超えて壊れた。恐怖と絶望は人を殺す、本当はそのことを一番熟知していたのがお前ではないのか?」
たしかに、アルジェの言うとおりイジメで苦しめられたマサキは、助けてくれなかった理沙を恨んでいたのかもしれない。それでも、理沙をこんな目にあわせるつもりは本当になかったのだ。それどころか、理沙を抱くのは好きだったし、理沙のことも、ほんの少しは本当に好きだった。好きになっていたのに。
――なのに、どうして
だから、マサキは身を伏せたままこんなことを言う。
「アルジェ先生……どうして、分かっていたなら理沙を助けてくれなかったんですか」
それは、愚かな責任転嫁だ。自分が悪いんじゃない、アルジェが。そのために理沙が。だが、アルジェはそのような逃避を許さない。
「マサキ、お前はなにか勘違いをしてないか」 「何をです……」 「お前は、誰だ?」 「……」 「お前は、学級王なのだろう」
そういって、アルジェは笑う。嘲笑してやる。
「マサキ、お前はクラスの支配者だ、自分でそうしたのだろうが!」 「……それは!」 「いいか、聞け。催眠術師になるというのは冗談ではない。そこらの弱い人間ならばともかく、支配者には支配者の責任がある」 「支配者の責任……」 「考えなかったこと、何もしなかったこと、その愚かさは全てお前の罪だ」 「それは……」 「やった結果が引き受けられないなら、催眠術師などいまからでもやめてしまえ。そして、元のただの弱いデブオタに戻れ。強者は、力を持つものは、愚かであることを許されない、大きすぎる力は振り回すだけで人を傷つけていく。それが分からないほどお前は馬鹿ではないだろう」
マサキは、泣き出していた。血だらけの理沙……傷つけてしまったのが怖かった。それでも、戻れなかった。もう、あの無力には、あの絶望には、あの地獄には! ……でもそのために理沙が。少なくてもあの少女は、そこまで酷い目にあうほどのことは、なにもしてなかった。
「もっといってやろうか、たしかに理沙をこうしたのは私だ。今から言う私の言葉を、心に刻み込め」
――私はお前に”結果を理解させるためだけに”理沙の心が壊れるまで放置したのだ!
「私は保健室の錆付いた鋏で、半狂乱で自分の腕を切りつけて血だらけになっている佐藤理沙をじっと見ていたんだ。理沙が小さな口を裂けるほどにあけて、死に切れない苦しみに絶望の声を上げるのをただじっと聞いていた。何度も、何度も、そうやって自分で垂らした血だまりの上で理沙が壊れて動かなくなるまで。いまだけではない、お前に見えない理沙の絶望を私は見続けてきた、お前に犯された日から理沙はずっと痛みに叫び続けていた、その声を聞き続けても、私の心は動くことなどなかった。助けてなどやらなかった。冷酷だろう、残忍だろう、これが私の催眠術だ、お前は私を軽蔑するか?」
――だが、忘れるなよ。
「自分の目的のために、それができるのが催眠術師なのだ。お前は何に成りたかったのだ。催眠術師になりたかったのではないのか。だったら、これぐらいのことで取り乱すな、前を向け! 結果を受け止めろ! そして考えろ、考え続けろ!」
アルジェは、もうマサキを見ていなかった。また、高速で端末をいじり始めた。好きなだけ落ち込んでいればいいし、万が一こんなことでマサキが折れてしまうのなら、そんな男にはもう興味はない。 それよりも、喉がとても渇いていた。コーヒーを飲みたくなったが、淹れてくれる理沙は居ない。人が淹れてくれるのに慣れると、自分で淹れる気にもならない。 マサキは、しばらくそうやって絶望に浸っているようだったが、やがて起き上がった。意外に立ち直りは早かった。
「理沙はこれから……どうなるんです」 「何をいうかとおもったら、そのことか。そうだな、理沙の心はもう駄目なので、操り人形にしてやろうかな、都合の良いようにしてやるから心配するな」 「理沙は、ぼくが助けます」
「ほう」 「アルジェ先生は、支配者の責任と言いましたね。だったら、理沙を何とかするのもぼくの責任です」
マサキがそうくるとは、アルジェは考えていなかった。理沙の精神をまともに呼び戻す。それが不可能とはアルジェも言わないが、それは大変面倒な手間になるだろうし、そこまでしてやる義理はアルジェにはなかった。人形にしてしまえば、日常生活を送っているように偽装もできるし、メイドには使えるのだ。そのままの方が、かえって便利なぐらいだろう。 たぶん、マサキは一度壊れた心を元に戻す大変さを知らないのだろう。だから、そんな安請け合いができるのだ。どの程度、理沙の心が割れてしまったのかにもよるが、壊れた心を戻すのは粉々に割れた器の破片を集めて、もう一度器の形に戻すような行為なのだ。そしてやり遂げたとしても、もとのような綺麗な器に戻る保障もない。
「お前は、人の心についても何も知らないだろう」 「それが必要なら、それもいまから学びます」 「お前の覚悟は分かった。理沙には、とりあえず私の人形として学校ではメイド、家庭では普通に過ごすように暗示をかけて動かす。後のことは、好きにすればいい」 「いま決めました……ぼくは、ぼくの理想とする催眠術師を目指します。だから、そのために理沙が必要だと、思うんです……」
高みに至る道はひとつではない。責任の取り方もひとつではないだろう。マサキのいう方法は、いかにも中学生が言いそうな浮ついた偽善だと思ったが、できるかできないかは問題ではない。 それを糧にマサキが学び、催眠術師として成長するのならそれも悪くないだろうとアルジェは考えた。目的のために手段を選ばないのがアルジェだ。それが善か悪かなどは関係ない。それに、佐藤理沙だって、好感が持てる少女だったのだ。もしかすると、マサキが思いもつかないような方法で回復させるかもしれないと思えば、それも面白いと考えて放って置くことにした。
それから毎日、マサキは保健室に訪れた。理沙を犯すためではなくて、人形になってしまった理沙の心に声を届かせるために、やさしく語りかけ続けた。その傍らで、心理学や精神医学を幅広く学び、そして催眠術師としての鍛錬もする。それらも、理沙の心を呼び戻すために役に立つものであったし、副次的な効果としてマサキを催眠術師として大きく成長させることになった。
その一方で、「クラス総妊娠計画」も着々と進行させていた。人形として生きる理沙の胸もお腹も少しずつ大きくなってきたような気がする。ほかのクラスメイトの中にも、つわりなどの諸症状の兆候が出始めてきた。理沙の二の舞を避けるために、それに対するフォローもマサキは忘れない。もう同じ過ちは繰り返さない、前を向く、結果を引き受ける。そしてより良き未来のために、考える考え続ける。なぜなら、マサキは学級王なのだから。
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