| 第三章「敵を甘く見るな」 |
綺麗な室内を歩きながら、河田はあることに気がついた。 「そうだ……管理人室だ」 フェルリラント内部が、セキュリティーの甘いマンションだとすると管理人室にはマスターキーがあるはずだ。 何も苦労して各部屋の鍵を盗まなくても、大元さえ複製してしまえばどこの部屋も侵入できるはずだ。 なんでこんな簡単なことに気がつかなかったか。河田はさっそく管理人室に来た。 幸い、管理人室の扉は開けっぱなしになっていた。なかでは、管理責任者の枝川律子がモニターに向けて監視の目を光らせている。 年の頃は二十歳過ぎぐらいだろうか、研ぎ澄まされた肉体と、その鋭利な相貌は、一点のくもりもみせず視線は鋭い。長めの髪をポニーテールにしてくくっている。あくまで、シンプルで機能的でありながら、その鍛え抜かれた肢体は女性的な美しさを保っている。近くを通りぬける時は、見えていないといっても河田は冷や汗をかいた。 全体の設計がゆるやかに広く空間どりしてあるおかげで、河田はなんとか枝川律子の監視をとおりぬけ、マスターキーの複製に成功。 こういう施設のマスターキーはたいてい他の鍵に比べてめだって大き目に作られているものだ。 さすがにプロのストーカーとして、勉強した河田は、それぐらいの察しは着く。 キーの管理が、律子の性格できっちり整理されているのも幸運だった。 さて、このマスターキーをつかってなにをやってやるか、楽しみである。 ふと、河田が油断したその時だった。ふっと律子が立ち上がると、こっちにあるいてくるではないか。
うあー! ぶつかるー!
そう心の中で絶叫して、腰を抜かした河田の直前で律子は止まり、またふっと体を翻すと管理人室にもどっていく。 そのあいだに、河田は転がるように通路の隅っこに逃れた。警棒等を装備して、すばやく枝川律子は小走りで管理人室から出ていった。 これから各部屋を見回るつもりなのだろうか。 「とにかく危ない所だった」 ほっと胸を撫でおろす河田。彼は心の注意メモに、枝川律子、管理人要注意と書いておくことにした。
「おかしいわね、たしかになにか気になる感じがしたんだけど」 一通り、フェルリラント内の検査を終えたが異常はなかった。彼女の感覚は、たしかになにかおかしいと叫んでおり、それに間違いがあったことは少ないのだが。 枝川律子二十三歳、フランス外人部隊の将校をしていた枝川大佐を父にもち、生まれつき軍事に特異な才能を発揮していた。父は彼女に天才的な資質を感じ、戦場にともなって実地で教育した。 律子十六歳のとき、枝川大佐率いる大統領派のフランス駐留軍は、南米の小国アルサロスに進駐。そこで、不幸なことに敵中で指揮官の大佐が戦死した。 律子は、父の死で混乱しきった進駐軍を一つにまとめ、見事に敵中の真っ只中から国外への脱出に成功した。 年少ということを考えれば、見事というほかない指導力であったが、軍籍にはないので当然のようにその功績は評価されず、彼女は父の遺産をもって国籍のあるスイスへ、そしてそこで準備をして日本に帰国した。 日本で、女性のみの警備を歌う枝川総合セキュリティー(ASS)社を立ち上げ、この部門で一定のシェアを確立した。このフェルリラントは、ASS社にとって象徴的な仕事であり、ここでの仕事が上流社会へのコネクションにつながるため、彼女自らが内部の警備を担当していた。
彼女の横を河田が通りぬけた時、ふっと律子は微かな磯の香りと精液の香りを感じた。そして、それ以上に戦場で嗅ぎなれた男の体臭も……もちろん、ここの近くに海はない。男もいない。 そのような、香りがするわけがないというおかしさを、彼女は無意識のうちに感じ取り、危険を感じたのである。 だが、今回は運のいいことに河田は律子の張り巡らせた監視の網に引っかからなかったため、感じた危機感が律子に意識されるほどではなかった。 透明人間といえども、異変を察知されて追いつめられてはおしまいである。戦闘力でいえば、管理人の律子は河田の軽く百倍はあるだろう。 目をつぶっていても、五秒で叩きのめされる自信がある。河田は、内部の警備について自分が舐め過ぎていたことを痛感した。 内部の警備が、システム上は透明人間であるということでかわせても、こと有能な軍人である枝川律子をまともに相手をする危険はさけなければならない。 そうなると安全な場所は警備の届かぬプライベート空間ということになる。 巡回時間を調べなければおちおち通路も歩いていられない。 職員が数人詰めているとおもわれる、中央管制室への侵入は危険すぎるだろう。マスターキーが、中央管制室ではなく管理人室にあったのは幸いだったというべきか。思い出したように、河田は肌寒さを感じて震えた。
お姫様たちは無防備だが、護衛は優秀。敵を甘く見ないことだとこのまま他所を見て回る予定を変更して、河田はいったん戻って体勢を整えなおしてアタックすることにした。
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