| 第七章「美優の善意」 |
もう半年以上も前のことだ。 河田は、変質者仲間たちと共にセントイノセント女子高に忍び込んでいた。 お嬢様学校で、しかも女子高。警戒は甘いという予測。 だが考えていたより、警備までは甘くなかったのだ。
ウィーンウィーンウィーン!
カメラは殺してあったが、二重警報とは! 警報と共に、学園警備が動き始めていた。学内にいる生徒が巻き添えになるのを避けるため、猟犬や飛び道具は使われないはず。逃げる時の鉄則で、蜘蛛の子を散らすように、バラバラに逃げる。 お互いハンドルネームしか知らない変態仲間だから、誰か捕まって、自白剤を使われようが拷問を受けようが、仲間のことはわかりっこない。むしろ、誰か捕まってくれればその間に自分が逃げられる。 運の悪いことに、仲間のうちで河田が一番運動神経が悪かった。 「ハァハァハァ……」 河田は、足が動かずに頭ばかりが回転する。仲間は、もうとっくに外に逃げ出しただろう。なんて敷地の広い学校だ、河田の足ではとても塀を越えられまい。 河田の目の前に、小さな森への小道が見えていた。 学園の中に森って……まあ、誰も近づかないだろうし、姿を隠せるかもしれない。しらみつぶしにされたら、終りかもしれないが。このままだとどっちにしても終わりだし。 そうして、森の中に足を踏み入れた時。河田は、彼女を見つけた。
学園のなかの小さな森の陽だまりで座り込むその少女は、まるで不思議の国からやってきたニンフのごとき神秘的な印象を与えた。 セントイノセント女子高校特進科一年二組、小家美優。 あとで、調べて彼女の経歴と名前を知るが、この時の河田は何も知らない。 某有名服飾デザイナーに作らせた、この学園の制服。白と青を基調とした控えめなデザインは機能美にあふれ、それでいて不思議と気品を感じさせる。高貴な紫のスカーフがアクセントだ。 不思議そうな顔で河田を見上げる美優の相貌は、そんな制服の助けなどいらない。 怪しげな男が来たというのに、焦るそぶりも逃げるそぶりもない。 河田はというと、感激のあまり固まってしまった。 「可愛い……」 恐怖あまりではない。感激のあまり、なのだ。 小家美優の妖精のような白い肌、軽く束ねただけなのに奇麗にまとまった髪は、肩へと流れている。神秘的な雰囲気。そして、その雰囲気に逆らうような大きな胸。だが、ゆったりとした美優の立ち居振る舞いには、その胸の大きさも似つかわしいかもしれない。その、微妙なアンバランスで成り立っている奇跡の結晶に、河田は眼を奪われた。 ちょうど、森の真ん中で影になっているとはいえ、大きな声一つ出されたら、人が飛んでくるだろう。 この子が、一声あげれば、哀れ河田は警備へと引き渡されるのである。 それでもよかった。 「このような、美の女神に通報されて捕まるなら」 悔いなどない。変態一代男、河田正平も男であるのだ。
ちょっと間をおいて、初めて目の前の河田に気がついたというように、美優は口を開いた。 「あれ……おじさんはどなたですか」 遠くから、緊急警報が聞こえる。それと、あわせて考えるということはしないらしい。 この反応の鈍さ、お嬢様育ちにしても――巨乳には天然が多いという俗説を信じたくなった。 美優の問いには答えずに、河田は質問で返す。 「あなたは、こんな森の中で何をなされていたんですか」 そんな質問している場合ではなく、すぐ逃げないといけないのに。美優と少しでも長く話したい思いが尽きない。 「ああ……わたし」 そういって、顔をほころばせる美優。 「森の妖精さんと話をしていたの、ほら」 そういって、美優が木漏れ日の光に手を伸ばすと、森のくぐもった大気はキラキラと煌いて、一瞬本当に妖精が見えた気がした。 一種の詩的たとえかもしれないが、電波も少し入ってると河田は心にメモした。それも考えようによっては、萌え要素だろう。 「やばい……」 森の外側から、男たちの声が聞こえてきた。口々に何か叫んでいる。 河田は焦って、茂みに身を隠した。そして、茂みから。 「すいません、誰も居ないって言ってもらえますか、追われてます」 そう、一か八か頼んでみた。 「おやすい……ごようですよ」 そういって、またニッコリと微笑む美優。疑うことを知らないのだ。 そうこうしているうちに、追っ手の警備員の谷城と用務員の三鬼がやってくる。 「ああ……谷城さん、それに三鬼さん。どうしましたか」 美優は、天然で妖精と話をしているような女の子だが、学園の下働きの人の名前まできっちり覚えて声をかけるので、とても人気がある。 おっとりしているけれど、透き通った声で、必要なときには相手より先に声をかけられるのが美優の不思議な特技だ。 警備員の谷城は、一瞬美優に目礼し、三鬼に視線を向ける。 「小家様、失礼!」 すぐさま走っていく。警備員の谷城は、とりあえず全ての区域を見回ってしまうつもりなのだろう。後手に回ってしまって、もう追いつかないかもしれないが、一応全箇所確認しておくのは、学園の安全確保のためだ。 三鬼に視線を向けたのは、お前は小家美優から事情を聞けという合図である。 お嬢様がたはともかく、鋭敏な使用人しかいない学園内だ。五十代でもう白髪交じりの三鬼だが、全力で走ってきたにもかかわらず。息も切らさず、すっと息を吐くと。 「小家様、怪しい人影を見ませんでしたか」 「いえ……特に。なにかあったんですか」 「何もなかったら、よろしいのですが。賊が……いえ良からぬ輩が侵入したようです」 さっきまで、用務員室で水戸黄門を見ていたので、つい時代劇の用語が出てしまった三鬼だ。美優は、人を油断させる不思議な空気を持っている。 「良からぬ輩……ですか。どのように、良からぬのでしょうねー」 そういって面白い冗談を聞いたという風に笑う。手ではまだ、光の中の妖精を追っているようだ、美優はのんきなものだ。 だが、無事だったのだろう。最悪の事態を避けることができて三鬼も一息つく。どっちかというと、美優がではなく犯人がであったりする。もし、とち狂って犯人が人質でも取れば、三鬼でもすぐさま犯人を射殺する。 そのための銃も、実は密かに携帯している。だがたけ狂っていた昔ならともかく、この歳でもう人など殺したくない三鬼なのだ。 「詳しくは分かりませんが、警報機に引っかかってすぐ逃げてしまったのでしょうね。逃げ足が速いのはこしゃくですが、誘拐などが目的のプロではなく。きっと、デバガメの類でしょう。一年に一度ぐらいあるんですよ、こういうことが」 「そうなんですかー」 デバガメの意味も分からぬ美優である。 「ええ、あっ警報が止まりましたね。もう大丈夫だと思いますが、念のため学園のほうに戻られてください。先生たちも心配していると思いますから」 「はい、それじゃ……無事にお逃げなさいー」 そういって、手を天にかざした。 「は、小家様……誰にいってるんですか」 茂みが、ビクンっと動く。 「森の妖精さんにですー」 そういって、また美優は無垢な顔をほころばせるのだった。 いつものことなので、お嬢様にはかないませんとかいって連れ立って去っていく。 彼女にとっては、別に河田に危害を加えられたわけでもないし、戯れの一日一善のつもりだったのかもしれない。しかし、彼女のかけた小さな善意は、巨大な悪意となってお返しされる運命にある。
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