| 第十七章「包囲の輪」 |
カーテンが開け放たれ、昼前の強い日差しが河田の目を覚まさせた。 すでに季節は夏の盛りを迎えている、空調が効いた室内といえど強い日差しまでは遮断することはできない。 エリカのベットでそのまま眠ってしまったのか。 最近はエリカの生活のペースや、睡眠薬の効き方などもすっかり把握してペースを掴んだために油断して、そのまま近くで寝てしまうこともよくある。 エリカの身体は、とてもうまいのだが、興奮しすぎて体力の限界まで陵辱してしまうから河田も疲れるのだ。 透明とは言え、生身なのだから美優の部屋以外の場所では気をつけないとなあ。 そんなことを寝ぼけた頭で考えて、それでもうだうだとベットでゴロゴロしていた河田の顔スレスレを、何かが通り過ぎていった。 (え……)
ズサ!
何の音かと思えば、顔の前ギラギラと光るものが通り過ぎていき。 思考が追いつく間もなく、根元まで深々とベットに呑み込まれて行くそれは。 刃物だ! さらに速度を上げてベットのなかを執拗に突き続けている。 そのたびに、グサ! グサ! っと妙に乾いた音が響く。 河田が恐怖に凍りついた目を上げた先には、刃先を河田の目の前に向けて佇んでいる当マンションの管理統括者、枝川律子の厳しい顔があった。 (な……!) 河田が思わず驚きの声をあげるまえに、後ろで物置を探っていたらしい警備隊員の水品サクラが先に驚きの声をあげてくれた。 「なっ、隊長! 勝手にベット壊しちゃっていいんですか」 無言で、ベットをくまなく突き続ける律子。その剣戟の音は、意外に小さくて身動きすると音でばれてしまいそうで河田は、そのままの体勢で凍りついた。 河田が助かったのは、律子がベットのなかに標的が居ると考えて効率的に突いたからだ。無駄な動きがない律子の動作が、結果として河田の命をからくも救った。 「ベットのひとつやふたつ……また買えばいいのよ」 警備としては、安全が第一。安全にもっとも経費がかけられるべきである。 だいたい、ここの部屋のものはほとんどが予備が用意されており。たとえ部屋中を破壊しつくしたとしても、十二時間後にはもとの状態に戻るようになっているのだ。 半分は自分が設計したとはいえ、贅沢なものだと律子は思う。 「ベットに何かの気配があったんだけど、私の感覚も鈍ったかしら」 持ち前の動物的勘で、敵性反応を見抜いた律子は手ごたえのなさに頭を振った。 どうも、最近……感覚がおかしい。 「だいたい、各種の警報装置はなんの反応もありませんし、侵入者なんて考えすぎなんじゃ……ないでしょうか」 尊敬する隊長の真面目な顔に、反論の矛先が弱るサクラだがいうべきことは言った。 「そうでもない、私は隊長のいう勘というのは分からないが。なにか、ここ一ヶ月ぐらい違和感を感じることはたしかだ」 風呂場を見回って戻ってきた南雲梨香も律子を弁護する。 そして、そーっと室内から出ようとしていた河田の頭をかすめるように、梨香は獲物である矛のようなもので壁を貫く……ザクっと。 「ここは構造的にねずみ一匹進入できないはずだよな水品」 「そ、そうです。そのはずですけど」 「微かに生き物の生活音がする。害虫等の可能性もあるから探索より、業者でも呼んで徹底駆除でもやったほうがいいのかもしれない」 別の可能性を提示するのも、補佐の自分の役割なので梨香はそう提案してみる。 さらにザクザクと壁を突かれ、そのたびに河田は血の気が引く。 身動きするのはあきらめた。 (このまま、いたら死んでしまう) 河田は、脱出計画を早めることを余儀なくされるのであった。
ほうほうの体で、美優の部屋に帰り。ひとっ風呂浴びて、透明状態を解く。 「あー、安全圏はここだけだよなあ」 そうして、冷や汗も落としてさっぱりした河田の目の前に。 枕を抱えてジトっとした目で見上げる、珍しく不機嫌そうな美優がいた。 「最近……妖精さん、あんまり一緒に寝てくれないですよねー」 そういえば最近、エリカの攻略に時間をかけすぎておざなりになっていたか。 しかし、エリカの身体はあれはあれで美味しいし、普段の生活の様子も視姦しておくと夜の楽しみが増えるんだよなあ。 そんなすぐ妄想状態に入ってしまう河田を、見上げる美優の目がさらに厳しくなった。 「もしかして、妖精さん他の女の子と寝てませんか……」 ぶっと吹く。 「そ、そんなことないよ」 声が完全にうわずっている。 「本当ですか……今日の妖精さんは、なんか信用できません」 それにつけても美優の勘の鋭さ。 ぼくの考えていることが読めるのかと戦慄する河田。 美優の言う「寝る」というのは、性的な意味ではないのだが。 男はたいてい、こういうとき焦って墓穴を掘ってしまう。 ここで深く追求されたら、河田だってゲロしてしまったに違いない。 美優には、そういうことに具体的なイメージがないことが幸いだった。 「いや……だからそんなことないって」 だから、怒っていても結局は許してしまう。 せっかくお風呂に入ってすっきりしてきたのに、冷や汗がまた出てしまう。 「そうですか……じゃあ、今日は一緒に寝てくれますよね」 「も、もちろんだよ」 さっきの様子だとエリカの部屋は、警備が厳しくなっただろうし、美優と一緒に寝るのも嬉しい。エリカの身体は飽きないが、一通り楽しみ尽くしたともいえる。 河田の本命は、やっぱり美優なのだ。 抱えている枕ごと、お姫様抱っこでベットまで運ぶ。 ひ弱な河田にも、可愛らしい美優はなんとか運べる。 重い部分があるとしたら、ほとんど胸の重量だよな……。 上目遣いに見つめられると、そんな河田の想いも全部見透かされるような気がする。 本当に不思議な子だ。 まるで、大きな人形を抱きかかえるように河田の全身にべっとりと抱きつく美優。 最近は、こういう抱き方がお気に入りらしい。 河田よりも一回り以上に身体が小さい美優だが、包み込んで抱きしめてあげているつもりらしい。 そんな美優を見ていて、いい言い訳を思いついた。 「実はね、このマンションから脱出しようと思ってるんだ」 「ええ……妖精さん妖精の国に帰っちゃうんですか」 抱きしめていた手も離して、飛び起きる美優。 「帰っちゃうとはちょっと違うな……ほら、ぼくは不法侵入者だから。このマンション部外者は絶対入っちゃいけないことは美優ちゃんも知ってるでしょ」 「そういえば……そうですよね」 でもそれは、魔法でなんとかしているのではないか。美優はたずねる。 「最近は透明でも、ほらここの警備員って鋭いじゃん。特に管理人の律子さん、透明でも匂いとかで気がついて、最近は……あやうく殺されそうになったんだよ」 普段は温厚だが、何かことがあったときの律子を始めとした警備員たちの凶暴性は、美優もたまにみるので良く知っている。 いくらマンションの敷地内だけとはいえ、刀や銃を堂々と振り回してるのはいろんな法律に違反してるのではないかと思うのだが。 「そんなあ……それじゃあ妖精さんいなくなっちゃうんですか」 うう……そんな上目遣いに目を潤ませて見上げないでよ。 「そうだねえ、そのうち逃げないと……命が危ないし」 「そんな……」 またぎゅっと抱きしめて、河田のでかい腹に顔を押し付ける美優。 「妖精さんがいっちゃ嫌だし……殺されちゃうはもっと嫌だし……わたしどうしよう」 途方にくれたように、くたっとなる美優。 ぼくもそれで途方にくれてるんだよといいたくなる河田。 「それでね、美優ちゃんがよければ一緒に逃げてくれないかなと」 了解が取れれば、それにこしたことはない。 取れなければ……そのとき、それに耐えられる自信が正直河田にはない。 だから、この質問をいうのは怖かったのだ。 「一緒に……妖精の国?」 首を小さく傾けて、目をきらきらさせて言う。 そうじゃないんだ……そう騙せてしまえば、簡単なんだろうけど。 そこまでの嘘をついて、美優を悲しませることは河田にも耐えられなかった。 だから、そこは正直に言う。 「違うよ……逃げる先は、外国なんだ。スーパーもコンビニもないから多少不便だけど、海が近くで、自然が豊かで、ホテルも行楽地も病院もあるから、住むには心配いらない場所だよ」 「うーん、外国の国……どっちのほう?」 河田の胸の中で、きょろきょろと見回す。 「そうだね、この国からだと南のほうだね」 ちょうど、あっちのほうと南向きの窓を指す河田。 採光のために、広く取られた窓からは、大きな入道雲が浮かんでいるのが見えた。 「あの、雲の向こう側にある国だね」 休日の青い空に、大きな入道雲はゆっくりと広がっていく。雲から目を戻して。 「うん、わかった。妖精さんとだったら行ってもいいよ」 あまりにも、あっけなく美優がうなずくので、逆に河田は怖くなった。 「そんなに、簡単な問題じゃないんだよ」 「そうかな?」 美優には、本当に分かっているんだろうか。 「外国に行ったら、二度とこの国に戻ってこれないかもしれない。美優ちゃんを連れて行ったら、ぼくは誘拐犯になるから。美優ちゃんも、学校も行けなくなるし、両親にも二度と会えなくなるかもしれないよ……」 まるで断ってくれというような。 それでも、美優のためを思っていった言葉というだけでもない。 河田は、本当はいっしょにいってもいいと肯定されるのも怖いのだ。 できれば、答えは引き伸ばしにし続けて今を永遠に楽しみたかった。 警備の包囲が狭まりつつある今でなければ、きっとそうしていたに違いない。 それでもいつも楽しい時間は早く過ぎて、期限は決断を迫り、未来はいつも怖い。 もし美優を騙して拉致して、そうして遠い異国で彼女が泣いたなら。 そのとき、河田は生きていける気がしない。 そういう気持ちを、拙い言葉にして河田は何度も聞いた。 「もう、何度も聞かなくていいよ」 手をいっぱいに広げて、ぎゅっと河田を抱きしめて美優は言う。 「わかってるから、もう二度と戻れなくていいから、連れて行っていいから。それで、私はずっと妖精さんと一緒にいるんでしょ。だから、いいよ」 河田の吐き出した不安を、美優は全て飲み込んで安心にしてしまえる。 本当に魔法があるのなら、それを持っているのは自分じゃなくて美優だと思う。 とうの昔にズタボロに壊れたはずの河田の勇気を、どうして一言で美優は奮い立たせることができるのだろう。 「私を、お嫁さんにしてくれるってことでしょう」 「うん……そういうことだね」 どうしようもないと思っていたことが、パッと目の前が広がってできる気がした。 方法はある! 美優の笑顔を力に変えて、河田の脳みそは、また動き始めた。 「最近、忙しかったのは美優ちゃんと一緒に逃げる方法を考えていたんだよ」 「そうだったんだー」 まあ、嘘ではない。美優はそう聞くと本当に嬉しげに身を起こして、河田が大好きな微笑を浮かべて、キスをした。 強く抱きしめて、軽くではなくちゃんと深い口付けを。 「大好きだよ、妖精さん」 その日は昼間から邪魔も入らず、美優はいつになく激しかった。
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